同じものを見ても全く違う解釈をする。
これは人それぞれが持つ思考と物の見え方に違いがあるということに起因しています。
学習のタスクそのものに対する反応もこれが大きく関わってきます。
「自分が物事をどう捉えているか?(見ているか)」を知ることが、学習への取り組みを変えるきっかけになります。
例えば、「文法なんて丸暗記でしかない」と思い込んでいたとします。
そうなると、文法=丸暗記をベースに見てしまうので、違う角度で見直すことができなくなります。
「文法の重要性」の話をするときに、全部聞きもしないで、「文法は丸暗記でしかないから、会話できるようにならない原因だ」と
決めつけトークをする人がよくいます。
こういうふうにしか見れない人には新しい発見もなく、いつまでも成果を出せる方法に気づくことができません。
「結果出したいんでアドバイスください」と言っておいて、原理原則から説明しても、
自分の聞きたいことじゃないと反論から入る人によくいます。
「だって、自分は会話がしたいんだもん。会話しかやりたくない」とか言うわけですw
うまくいかない方法を選ぶ→うまくいかない→同じ思考で違うやり方を探す→うまくいかない
この繰り返しで苦痛が増してきます。
「同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと、それを狂気という。」byアインシュタイン
あれこれやったけど、成果が出ないという人は同じことを繰り返しているのに過ぎないことが多いです。
自分のパラダイム(物の見方)がズレているがゆえに、成果を出す方法をやらずに、苦痛が増してしまうといます。
練習メニュー1つとっても、物の見方について考えてない人はよく
「なんでこんなことしなくちゃいけない」
「めんどくさい」
「こんなことじゃなく、もっと別のやり方がやりたい」
と言って、違う方法(=自分が楽をしたいだけの方法)に逃げてしまいます。
そして、延々と結果が出せないスパイラルになります。
英語をちゃんと確実に身につけたいと思っているなら、自分の物の見方に疑問を持つことです。
見方を変えれば、違うことが見えてくるのです。
学習の苦しみと楽しみは学習者のパラダイム(物の見方)に左右される