学習の成果を生み出す行動の源=本人=思考です。
この法則は何をしても変わりません。
結果がいいなら、その人の思考は結果を出すということをちゃんと捉えた行動をしています。
結果が出てないなら、思考がズレています。
結果が出てないなら、行動に修正が必要です。
自分の頭で考えることをしない人は何がおかしいか一生わかりません。
延々と自分のダメパターンをくり返して、「こんなはずじゃなかったのに」と言い出します。
必ずと言っていいほど、結果が出ないお決まりパターンは2つあります。
1.やることやってない
2.やり方がズレてる
1.やることやってない
やることやってないは練習量も含めてです。
練習量を独断で自分がしてもいいレベルに格下げして、チョロってしてやったつもりです。
「ここまでやったんだから身につかない方がおかしい」というレベルからは
天と地ほど差があります。
チョイチョイっとやっつけでやったことにして、
「これで上達できればいい」と神頼みしてるようなものです。
練習は「やった」かどうかじゃないです。
「できるようになったか?」が全てです。
練習の量をこなさずして、神頼みみたいなことを期待するナンセンスな脳内が
結果を出せないループを作っています。
2.やり方がズレてる
何も本質を理解せずに、自己解釈+自己流アレンジに置換したがる人に多いです。
自分を過大評価して、根拠のない自己主張ばかりで「才能がある」とか「力がある」と勘違いした人に多いです。
周りに実力を認められたことがないデタラメをやらかしているのに
自分はこのやり方がいいと勝手に思い込んでることが多いです。
型のレシピを無視して、最初から創作料理をしようとするようなものです。
型がわかってないので、突っ込むものはデタラメ放題です。
当然おかしなものしかできません。
和食がロクに作れない人間が和食の創作料理を作ったらどうなりますか?
噂の東京マガジンの「やってTRY」状態です。┐(゚~゚)┌
当然食えたもんじゃない。
そんなことをやらかしてるのがこのタイプです。
自分を客観的に見れないので、自分が感覚でやれば成果を出せる天才じゃないといつまでも気づかないわけです。
感覚派でやったことがことごとく上手くいく人もよく見れば、
うまくいくしかないっポイントを感覚でつかんでやってるだけです。
今必要なことを感覚だけでつかみとってやってるだけです。
それがない凡人は自分の感覚を過信するのは自爆行為です。
自分のやりたいペースでやって結果出てない。
自分流にアレンジしても結果出てない。
これに当てはまる人。
自分にセンスがないことを認めて、自分の能力をちゃんと見直した上で方策を取るか?
それとも相変わらずの「自分基準」で我を通すだけで結果を出せない道を選ぶか?
自分は勘違いしてたと認めて、現実な策を取るか取らないか?
結果を出してない人は自分が作り出した結果出ない現実を直視するしか改善策はないです。
一番簡単なのは現実を理由にあきらめてしまうことです。
それであきらめて満足ならそれでいいでしょう。
自分の思考を変えないのに、現実は変わってほしいと都合のいいことをあきらめられない、
ズレたあきらめの悪さを持った人は多いですけど。
そういう人が相変わらず「自分のやり方」に固執して、「アホな教材」にお布施してるループ。
自分の思考からくるやり方ではできない。
ならどうしたい?
あきらめてやめますか?
必要なことをして、結果出せるように自分を変えますか?
できない理由を探して行動しなければ楽でしょう。
で、そんな生き方して何が面白いですか?
死ぬときにやっとけばよかったって後悔しますか?
やるという選択をすれば開けた道をやらない理由をできない理由に置換して逃げた人が
キラキラしてますか?
どういう人生にしたいかよく考えてください。
やればできたことをできない理由ばかり作って逃げた30代はカッコ悪い大人が多いです。
(40代、50代も一緒ですけど)
結果が出ない原因は自分。
その自分をどうしたいですか?
このまま?
それとも変わった自分にしたい?
どっちが楽しいでしょうか?